昭和50年08月31日 特別奉修委員
今朝の、御理解を頂いとると、もういよいよ、芸術家が、美の追求をする事に生涯をかけるように、有り難しの追求をしていく以外にないということが、ただ有り難いという事を、追求するという事の、ならどういう事になったら、有り難くなれるかという、結論のようなものでしたね、今朝の御理解は。どうでもひとつ、ほんとに私し共が、そのうはい、芸術家にならなければいけない。
宗教は芸術だと言った人があるそうですが、確かにそうです。もうだから、ほんとの、あの、芸術家肌というか、とにかく、あのう美を追求していくという事。例えてそんなら今日の、女の方が髪を結い上げていく、化粧をする、それを楽しみにするとこういう。例えばなら、女の方が断髪をするという。又は髪をこうちじらかすといういまもみん、昔はほんとにありゃちじれ髪を結うてからもう一番困った髪でしたけどね。今はそれが反対に、するとがよかつのようになっとる。
けれども、それとてもやはり結局は、美の追求でしょうが。そんなら今髪でも真っ赤にこう染めて。昔しゃあぁたほんと、もうてんで、あの人の頭はあかがしらんごたるちいうて、悪ういうた。わるて言うが、頭んあがるかとは根性ん悪かちいうごたるふうな、ふうわれたんですけど、今頃はそうじゃなか。はぁもうそれこそひのめいっとるごたる、こ真っ赤にどうし。けれどもそれもおかしっじゃないでしょうが。結局美の追及ですよ、やはり、ね。そんだから美を追求していきよるとです。
今まではいけないと思いよった事ん中に、その美がある事を発見する訳です。信心もそうです。今迄どの位、お粗末なっておったじゃあ、ご無礼なっとたじゃ解らん中に、私しは、いよいよ、有り難しを追求していくべきと思うですね。佐田さんがお届けされるのに、ほんとにこの、美の追求をして、いよいよ有り難しを追及していくという事が、信仰者の姿勢でなからにゃ。いや御道の信者としての、信心姿勢でなかにゃならんという 事ですけども。
そういう姿勢を目指しながら、何故なら、そういう風に目指すかというと、ただ自分が楽になる。自分の一家が幸せになるという事だけではなくて、それが世の、いよいよ、世のお役に立つことの為に、お役に立ちたいという一念がね、そこにあのいよいよ有り難しの追求をしていくという事になったら、いよいよ素晴らしい事になると思うですね。そうならなければ嘘です。ね。お互いの信心を一つほんとに、あの検討してみらにゃいけませんばい。何十年信心したっちゃ、どうでも一つ、あの芸術家肌というかね。
いわゆる信仰者肌と。本当の意味においての美の追求、いうなら有り難しの追及に、いやあ楽しゅうして、楽しゅうしてという、有難うして有難うしてというものが、とものうてくるのです。もいよいよ私しゃその、いわゆる美を追及していくためにはとか、有り難しを追求していく為には、もう今朝の御理解。もこりゃ毎朝の事ですけどもう今朝の御理解が最高という感じがするんですけどね。今日の御理解頂いて又それを、いよいよ深くする感じです。皆さんどうでしょうかね。ほんとにほんとにそうだとね、それにやっぱ取り組まなければだめですよ。
どうぞ。